分数量子ホール効果に潜む数論とトポロジカル秩序の圏論的記述
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はじめに
分数量子ホール効果(FQHE)は、強磁場・低温下の二次元電子系でホール伝導度が分数をとる現象です。実験的にはといった分数が観測され、通常の対称性破れでは説明できないトポロジカル秩序を示します。
本記事では、
- 数論的視点:境界エッジのキャラクタに現れるモジュラー形式・保型形式との対応
- アノマリー:量子場理論の境界不変量としての役割
- トポロジカル視点:Chern–Simons TQFTから得られるモジュラー・テンソル圏
- 圏論的双対性:ドリンドルセンターの出現理由
の4本柱で、FQHEを支える深い数学的構造を詳細に解説します。
1. 境界エッジの数論的モジュラー形式・保型形式
FQHE試料の端には電流が流れる「エッジモード」が存在し、そこは1+1次元の**カイラル共形場理論(VOA)**で記述されます。エッジ上の状態空間に対して、
というキャラクタが定義できます。このは一般にモジュラー形式や保型形式の係数展開と完全に同型で、
- モジュラー形式とは、上半平面上で と振る舞う函数。
- 保型形式は、より一般に大域的な自動形式論の枠組みで定義される解析関数で、ヒルベルト空間上のの不変関数として現れる。
エッジのキャラクタは
というS, T 行列で閉じます。これらは数論におけるリーマンΔ関数やエイゼンシュタイン級数のFourier係数変換と同じ構造をもち、エッジモードはまさに「物理系に現れた保型形式」です。
2. アノマリーと境界不変量
量子場理論では、クラシカルには保存されるはずの対称性が量子論で破れる現象をアノマリーと呼びます。FQHEにおける境界アノマリーは、
- U(1)ゲージアノマリー:バルクChern–Simons作用 はゲージ変換で不変にならず、その変分が境界に電流を生む
- 境界側のVOAはこのアノマリー不変量を補償し、全体のゲージ不変性を回復する
という仕組みで現れます。すなわち、バルク–エッジ対応はアノマリー取消の視点からも必須であり、数学的にはドリンドルセンターが「境界理論のアノマリーキャンセル」を保証します。
3. バルクのトポロジカル秩序としての Chern–Simons TQFT
FQHEのバルクは、低エネルギーで3次元Chern–Simons理論に対応します。U(1)ゲージ場を用い、
という作用を考えると、レベルがホール伝導度の逆数を決めます。ゲージアノマリーの観点からは、境界に生じる不変量を補うためにエッジモードが必要になります。
このTQFTを圏論的に見ると、モジュラー・テンソル圏を与えます。主な構成要素は:
- 対象:anyon の種類(Wilson線の表現ラベル)
- 融合則:
- F-シンボル: の自然同型(五辺形図式の可換性)
- R-シンボル: の交換統計(六辺形図式)
- トワイスト:各anyon の自己回転位相
- モジュラー行列: が可逆(非退化性)
これらをすべて備えた圏がユニタリ非退化ブラーディッド融合圏すなわちMTCです。FQHEのあらゆるanyon統計と基底状態縮退は、この圏論的データで完全に記述されます。
4. 圏論的双対性:ドリンドルセンターの出現理由
なぜ圏論がここまで現れるのか? それは、以下の2点が大きく関係します。
-
アノマリー取消の普遍構造
- バルク–エッジ系全体のゲージ不変性を保つには、境界理論が必ずしも異なる圏を補償的に持つ必要がある
- この補償圏を「中心的に」選ぶ操作がドリンドルセンター
-
拡張TQFTの階層構造
- 3次元拡張TQFTでは、
- 点:モノイダル圏
- 線:-モジュール圏(境界条件)
- 面:境界状態空間
- この階層が自然に圏論を導入し、モジュラー・テンソル圏とその中心圏が必然的に現れる
- 3次元拡張TQFTでは、
結果として、バルクのMTCとエッジのVOA表現圏は、「すべての braiding と可換に振る舞う」ドリンドルセンターを介して同値に結びつきます:
これが、圏論的にバルク–エッジ対応を保証し、アノマリー取消を数学的に定式化する根本的な仕組みです。
5. 数論と圏論の深い交差点
FQHEは以下の三位一体の構造を示し、数論と圏論の最前線が交差する場となっています。
項目 | 数論的構造 | 圏論的構造 |
---|---|---|
モジュラー | 保型形式・モジュラー形式のS,T行列 | MTCのS,T行列 |
q-展開 | キャラクタ | VOAの状態空間の級数展開 |
アノマリー | U(1)ゲージアノマリー | ドリンドルセンターによる取消 |
融合/braiding | 四角形・五角形図式と数論的関係式 | F-シンボル/R-シンボルと五辺形・六辺形図式 |
双対性 | Langlands双対性(数論的L関数対応) | バルク–エッジのドリンドルセンター同値 |
これらの対応は単なるアナロジーではなく、Kapustin–Wittenらの研究により物理的S-双対性と同じ根拠で導かれる厳密な双対性として定式化されています。
おわりに
分数量子ホール効果は、「数論的モジュラー性」×「Chern–Simons TQFTのトポロジカル構造」×「圏論的双対性」という三位一体の枠組みで理解できる、真に現代数学と物理の最前線が交差するテーマです。
- 境界エッジは保型形式そのもの、
- バルクはMTCとしての融合・braiding、
- アノマリー取消がドリンドルセンターを呼び込む圏論的必然
というストーリーは、いまなお多くの新展開を生んでいます。